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2015年9月27日日曜日

死ってなんだ 

「もし私が死んだら・・」「そんは話するんじゃない!」
これが古くからの伝統的日本の家庭での会話でしょう。
私はどうも日本人的な考え方が好きではないので、
そんなに気にせずにこんな記事を書いてしまいますが、
タイトルを見て嫌な顔をする人も多いことでしょう。
人生の最終段階における医療について(なんて遠まわしな言い方と思いますが)
厚労省のアンケートがファイルになっています。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000035sag-att/2r98520000035sf3.pdf

ここでは最期の医療について全く話し合ったことがない国民(2179人)は56%。
一応話し合ったが40%、詳しく話し合ったは3%でした。
医師(921人)でもこの数字は大差なかった。
強制的に命を長らえる装置をつけてもらいたい、と回答したのは、
どの装置でも10%程度だった。

こちらの先生は「これから闘病に臨もうとする患者さんに対して、
生死について話すことは、日本人の儒教由来の生死観から鑑みると、
タブーに近いものがあります」と書いています。
http://pulmonary.exblog.jp/21492392/(有名なブログです、呼吸器内科の先生)
だから、急変した時に何も決まっていないことが多く、
これは社会問題にもなっています。
急変時どうするかを病院と話し合っておかないと、病院ではとにかく救命に全力をあげます。
意識のないまま、いろんな機械につながれて生き続ける、ということになってしまいます。

アメリカドラマ「ER」では、医師が家族に、延命措置を本人が希望していたのか、
聞くシーンがよくありました(みなさん危篤状態なので)
老人では、そんな話はしたこともない、という患者さんはいませんでした。
ほとんどの患者は、どうやって死にたいかを親しい人と話合っていました。
本人は延命を希望していない、という話を友人がしても、遠くに住んでいた子どもが来て、
「人工呼吸器をつけて」と言ってもめる、という話もありました。
アメリカでは本人の意思が最大に尊重されるということがわかりました。

日本ではどうなんでしょう。
残念ながら、本人が希望して、書面に残しても、その通りにならないことがあります。
日本の国会議員の生死観、生命観は石器時代のままですから。

こちらのような治療の仕方があるのですね。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13120786693

こちらのコラムは、大学病院でがんを診ている先生が書いています。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=121462
タブーに挑戦しています。
「がんになると、がんで命が終る可能性が少々高くなります」と言い、
患者さんに遺言を書くようにすすめるのだそうです。
当然患者さんはびっくりします、なんで遺言?
しかしそれで、死というハードルが下がるのだといいます。
死におびえている人と、死ぬかもしれない病気の話をするのは骨が折れることでしょう。
よく「がんと聞いて頭が真っ白になった」と言いますが、
これでは話をするどころではありません。

まずは、人間いつかは必ず死ぬのだ、という事実を受け入れてもらわないと。
この先生はトライアスロンが趣味だという超健康体なのですが、
それでも「私も人間だからいつ死ぬかわからない」と言います。
がんになるのは健康な人ですからね。

そして「今の医学は長生きが勝者で、早死には敗者のような雰囲気です」と言い、
「日々ありがたい、と思えることが、そして希望がなにより大切です」と言います。

この先生のもうひとつのコラムです。
http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=123010&from=popin
こちらでは「死は敗北ではなく、ひとつの区切りです。
その区切りまで、自分なりに納得のできる、
幸せを感じる人生を送ることができるかが大切です」と書いています。

この映画をご存知でしょうか「最高の人生の見つけ方」
ちょっと前の映画です、テレビでも放送していました。
病室で知り合った2人が、最高の余命を生きていく、という面白く、感動する話です。
子どもも面白かった、と言っていました。
まだ見ていない方はぜひ、おすすめです。

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